8月4日土曜に夕方に昨年度放送したNHKスペシャルの再放送がありました。『ワーキングプア2』です。僕自身はあまり社会学、労働経済学などの諸分野に関する知識を持ちませんでしたので、我が国の抱える難問をまたひとつ突きつけられたように重い気分になりました。
ワーキングプアという言葉には一応の概念規定があるようで、働いているにもかかわらず所得が生活保護世帯を下回るような就労者のことを指すようです。このたびのシリーズで取り上げられていたのは、母子のみの家庭、高齢者のみの家庭、産業構造の変化に飲み込まれている零細企業の経営者たち、アルツハイマー型認知症の妻を料金の高い特別介護ホームに入れている高齢の夫、そして病で働けなくなった父を姉妹で支えながら自己実現を夢見ている若い女性の事例を紹介していました。
それぞれの事例で、取材対象になった人たちの事例がまことに切実なものであり、かつ、働く意志も能力もあり、チャレンジし続けているのに暮らしが楽にならないという実態が胸に迫りました。それと同時に、我が国の社会のあり方を根本から問い直さなくてはならないような根深い問題もはらんでいます。
かつて繊維産業が華やかだった頃の岐阜市の繊維街は、今シャッター通りになっています。大手メーカーの下請けを生業としていた零細事業者が倒産や廃業に追い込まれたからだそうです。
多くの人が知っているように中国から安価な繊維製品が入っきたことで、我が国の従来の繊維製品は価格競争力を失いました。不景気下にコスト削減を重視する大手メーカーは大幅に値引きを要求します。断れば仕事がなくなる状況の下では、1着100円の下請けを1着50円で引き受けざるを得なくなりました。
しかし中国から入ってきたのは製品だけではありません。企業研修生という名の、超低賃金の労働力も入ってきたのです。研修手当月額5万円、中には時給200円程度の仕事も引き受けるそうです。それでは岐阜市の昔ながらの繊維産業は立ちゆかなくなるのは当然です。
ある経済学者はこう言いました。「零細企業とて企業であるからには時代に合ったビジネスモデルを打ち出したらよい」と。それはすなわちビジネスモデルを打ち出せない零細企業の功績を軽んじすぎているではありませんか。力関係において圧倒的優位に立つ大企業が「コスト優先」の「価格競争」という枠組みをグローバルに展開している中に、零細企業の発案するビジネスモデルの入り込む余地があるのでしょうか。
競争力重視のための「コスト削減」という手段が目的化してしまった形状の中では、巨大企業の利潤確保のため、我が国の中のたくさんの下請け業者にしわ寄せがきます。好景気を維持していた時代は、他に活路もあったかも知れません。しかし、今の仕事を手堅くたいという願いすら実現できない現実に、誤りはないのでしょうか。
作った人も、支えた人も、売った人も、買った人も、それぞれにその取引に満足するというのが経済の基本なのではないでしょうか。利益の偏在はすでに起こっています。それだけではなく、利潤を追求するあまり、観衆無視・道徳律軽視どころか法令違反が頻発しています。それを専門家はどう判断するのでしょうか。政治というのは偏在した利益を社会に再配分するためにあるのだとばかり思っていました。
上述のある経済評論家のスタンスが、「弱肉強食が今のやり方なのです」と聞こえるのは僕だけなのでしょうか。
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