どのように使っていたのかはあまり覚えていないのですが、SHARPのザウルスとかSonyのクリエとか、もう少し遡ると東芝のリブレットといったような小さな端末に凝っていた時期がありました。おそらく今ほどCPU性能も入力デバイスの使い勝手も良くなかったのでしょう。「所持しているけれどもあまり使っていない」という状態だったように思います。でも、持ち歩いていないと不安という強迫観念があったのでしょうね。
インターネットが商業サービスがを始まったか始まらないかの頃には、モバイル端末の通信環境はかなり貧弱だったように記憶しています。ISPのアクセスポイント(もちろんアナログ回線)に携帯電話で電話をかけて、携帯電話とPDAをモデムでつないでPC−VANとかニフティサーブとかに書き込みしていた時代もありました。モバイルのバッテリの性能も今ひとつでした。そもそも30分も電話をしていたら携帯電話のバッテリ切れになるくらいでしたから。そもそも、1分数百円もかかる通話料で、毎日30分も携帯を使うことは、あり得ないでしょうね。
10年ほど前からPHSやカード型携帯端末で通信が出来るようになりました。NTTのシグマリオンなどが人気だった頃ですね。でも、PHSの電波状況はかなり薄くて大阪都心のようなところでなければ実用的通信ができませんでしたし、携帯電話ですと通話料通信料が膨大になるという欠点がありました。
さて今時のモバイル事情ですが、ある実習で参加者の緊急連絡先を書いてもらったら、ほとんど携帯電話の番号が記入してありました。こういう僕自身、子どもには3歳になる前から防犯機能付きPHSとか携帯電話を持たせているくらいですから、普及台数1億台というのももっともでしょう。こういうツールは一種のスキルですから、ウチの両親には使いこなせない携帯電話の機能を3歳児が使っているわけです。それなりに絵文字入りの携帯メールを送受信して「便利に」使っています。ただし、社会の状況が芳しくないのですね。子どもに携帯電話を持たせないようにしようという動きがあるようです。道具が使い方によって益があり害があるのは世の常です。害がある使い方ができるからと言って一律に規制するのはいかがなものでしょうか。便利な道具を便利に使いこなすことが出来てこそ現代人というものです。害のある使い方をしないように、マナーに反する使い方をしないように道具との付き合い方を学ばせることが重要なことであって、規制しようとするのは教育機会の放棄と言わざるを得ません。理性を持って正しく便利に使うことを学ばせなくてはならないでしょう。
ところで、久しぶりにSHARPのPHSを使い始めております。定額サービスでメールの送受信はし放題ですし、仕事メールに添付されているWORDやEXELファイルも開けるところが便利です。写真のようなキーボードなので、入力はしづらいですが情報を見ることが出来る点が最大の長所です。もう少しサイズの大きな機種もありますが、あまりに大きいと持ち歩きに不便ですから携帯電話サイズが手頃でしょう。
ところで、僕が大学教養部の頃にNECのPC−8000シリーズというパソコンが発売されました。多少遅れて富士通のFM−8、SHARPのMZ−700が出ましたね。もう四半世紀以上前の話です。僕が教養部の2年の頃にMZ−700のBASC言語でホンの数百行のプログラムを書いたことがあります。たしか父の仕事関係のデータ処理のためでした。それまでプログラム電卓で入力から結果出力まで30分ほどかかっていた処理が3分ほどで終わるという劇的な進化でした。MZ−700の最大の長所は4色のプロッタプリンタが内蔵されていたことです。これはプログラムの出力やデータの出力に便利でした。過日、研究室で懐かしのPCを動かそうとしたのですが、OSはカセットテープに記録されているものでありまして10分か20分の起動時間がかかります。このカセットデッキ部分がうまく稼働しないのです。プログラムをROM化していたPC−8000では起動が出来ましたが、MZ−700は起動できませんでした。残念です。ちなみにメモリは64KB、ウチOSに32KBを使い残りの32KBが稼働エリアでした。