NHKの再放送枠で、東京の女性中学校教諭の取り組みを紹介していました。「女金八」と呼ばれているとか。僕自身は金八先生のようなパーソナリティが苦手ですが、教師も人間ですからいろいろなパーソナリティがあってこそ価値があると思います。問題はそこではありません。
家に帰ってきて家事をこなした後、彼女は学校の仕事を始めるのです。教師という職業が、学校内の勤務時間だけで仕事を終わらせることができない仕事であることは十分承知していますが、それはあくまで教師という職業に就いている人たちの「サービス残業」みたいなものです。ほとんど全ての教師がその持ち帰り仕事をこなしています。もし教師が勤務時間中しか働かなかったら、日本の学校はまともな教育が出来ないことでしょう。それくらいに行政は教師の善意に甘えているのです。
決して高給ではなく、成長途上にあるデリケートな子どもたちの心を相手にして、たくさんの仕事を家に持ち帰って、毎日の仕事をこなすたくさんの教師たちのおかげで学校教育が何とか成り立っているというのが実情ではないでしょうか。教師という仕事にやりがいを見いだしているから、そういう厳しい労働条件の下でも働いているのです。しかし、それが当然だと思っている人たちがいます。NHKの報道スタンスも、時間外の過酷な労働をこなしている教師こそプロフェッショナルだという取り上げ方をしています。これは間違っています。プロフェッショナルであるということは、その労働に対する正当な報酬を受けてこそ言えることなのではないでしょうか。彼女だけではなく、日本のほとんどの教師はその仕事に対して正当な報酬を受けることなく、献身的に「聖職者」であり続けようとしています。日本の学校は献身的な聖職者がかろうじて支えてきたものです。
確かにかつては教師という職業は尊敬の的でありました。しかし今や状況は大きく変わっています。今の日本では、教師は子どもの世話係くらいにしてしか捉えていないように思えます。子どもたちだけでなく、非常識な保護者の相手もしなくてはなりません。社会が悪いから子どもたちの学力やモラルが低下しているのに、その対策として考えられているのは学習指導要領の改訂と教員免許の更新制など学校教育に関わることばかりです。この社会を変えない限り、この国に未来はないという危機感がないのです。
この危機意識の低さ、そして子どもたちの学力低下の原因の誤認が改まらない限り、日本の学校教育は復活しないという不安にとらわれる今日この頃です。
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