ドナルド・キーン著『昭和天皇』(上下2巻、新潮社)、ハーバード・ビックス著『明治天皇』(上下2巻、講談社)
が翻訳本として出版されたときにはすぐに買い入れました。その折は「大正天皇」
関連本が少ないのは在位期間と時代の違いによるものかというくらいの認識しかありませんでした。
仕事で文献を集めるときも趣味の本を集めるときも、ルートは二つです。ひとつは大型書店の書架を見歩くこと。
これが楽しく本を集められる随一の方法だと思います。今ひとつは読んでいる本の中で引用されている本を手に入れること。
自分があまり知らなかった新しい種類の本を手に入れることができます。
原武史の『大正天皇』(朝日選書)は後者のルートで手に入れたものです。たまたま丸谷才一のエッセイを読んでいましたら、
大正天皇の和歌が紹介されていました。古の勅撰和歌集に集められている「名歌の詠み人」たちと同等かそれ以上の和歌の才能が感じられます。
それに実は大正天皇は和歌よりも漢詩を得意としていて、漢詩の方がさらに素晴らしいという識者の評が紹介されています。その上、
書も素晴らしく、あの中野重治が感じ入っていたなどというエピソードを目にするにつれて、
大正天皇について知りたいという好奇心が増してくるのでした。
原武史さんの本は「先行研究がほとんどない」状態から書かれたものであるために、緻密に詰め切れていないように思われる部分もありました。
著者の「妥当性のある推測」で語られている部分が少なからずあるのです。しかし、この本は地方巡幸の際の地方紙の記事などを丹念に集めて、
人間「大正天皇」を浮き彫りにしようとしている点で素晴らしい仕事であると思います。ある世代なら必ず知っている「遠眼鏡事件」
のエピソードで大正天皇が世間に印象づけられてしまったのは非常に残念なことでした。社会主義革命の勃発する時代にあって、
明治天皇のような絶対的存在を政府が必要としていたせいかもしれません。
しかし、我が国の千年以上に及ぶ歴史の中では、明治天皇や昭和天皇の方がむしろ特別な存在だったのではないでしょうか。
世俗的なまつりごとから距離を置いた「文人天皇 大正帝」に対する僕の新しいイメージを作り上げてくれた本であることは間違いありません。
さて余談ですが、僕自身は「ポツダム宣言」の中に記されている「超国家主義」(原語はウルトラナショナリズム)という思想は、
「行き過ぎたナショナリズム」程度の意味に解釈していました。しかし、皇太子や天皇の巡幸・行幸で形作られてきた日本人と天皇の関係は、
単に「行き過ぎたナショナリズム」とは違った意味を持っているように思えます。明治後期から昭和初期にかけて作り上げられた「超国家主義」
や「国体」という観念に対するクッキリしたイメージを持ちたいと思います。
明治天皇や昭和天皇の関連本も、大正天皇に関する書籍があってこそ、その特質が浮き彫りにされてきます。僕は社会科学の人間ではないので、
天皇制を論じる見識はありませんが、大正デモクラシーや農村復興運動と大正天皇との関わりに思いをはせてみるのもいいと思います。
大正天皇の和歌は、帝らしいおおらかさと小さなものに対する鋭敏な感性に満ちています。
今は大正天皇の書を見てみたいという気持ちで盛り上がっているところです。
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