某輸入車専門ディーラーに行った折に、メンテナンスサービス担当の方の腕のスイス製高級腕時計が目に留まりました。 その時計が高価な時計であると言うことくらいは庶民の僕でも知っています。しかし、 自動車整備担当者にはその職業にふさわしい機能を持った時計があるように思えてなりませんでした。
もう20年近く前のことになるので時効だということで書かせていただこうかと思います。
学生時代の話です。後輩の腕に金銀の腕時計が目に留まりました。「高そうな腕時計をしてるね」と言いますと、 「腕時計くらいはいいものを使いたいので月賦で買いました」という返事でした。 僕は彼の師ではないので押しつけがましいことは言いませんでしたが、おそらく100万円ほどの腕時計であったと思います。 彼は毎月アルバイトをして月額5万円ほどの月賦を払っていたようです。大学生活の中で、彼は2本のスイス製高級時計を手に入れました。
捨てるほどお金があるならそれでもいいでしょう。ただ、学生の身分である彼が、専門書も買わず、 専門書を読む時間を割いてアルバイトをしてまで高級腕時計なぜ手に入れなけらばならないのか、僕にはわかりませんでした。 卒業しても定職につくことができず、ファーストフードの店でご自慢の腕時計を付けて働いていました。 彼の大学生活の成果はロレックス2本以外に何もなかったのでした。 彼がそれで満足しているなら僕が差し出がましいことをいう筋合いではありませんが、 大学を出たのにアルバイトしか職がないという愚痴を幾度か聞かされたものです。
僕としては精一杯の皮肉を込めて言いました。
?君の目的が腕時計の収集であるなら、大学は行く必要がなかった。君の目的が学業であるなら、本を買って読むべきだったと思わないか。
高級品を身につけていることはいったい他者へのどのようなメッセージなのでしょうか? 自分が資産家であることを主張したいのでしょうか。いわゆる上流階層にあることを主張したいのでしょうか。しかし、 いくら宝飾品で飾り立てても、彼の教養の乏しさを隠せるものではありません。
バブル期には一部短大や私立大学にこういう空虚なブームがあったと聞きます。女性でも腕時計や、 靴や鞄にかなりの投資をしていた人を僕は知っています。しかし、その内面の貧困さは会話を聞いていれば一目瞭然です。 知性や教養を向上させることを捨てて、かつてブランド商品に憧れた人たちは、 経済的な余裕が出来ますとメーカーの名前入りの派手なバッグをぶら下げたいという衝動に駈られるようです。これはかつて彼ら& 彼女らが奇っ怪なキャラクター商品を好んだと同じように、メーカ名が入っていないものは使いたくないという嗜好を持っているのでしょう。
高価な宝飾品を身にまとった両親が連れている子どもがレストランで奇声をあげて走り回っているのを見かけるたび、 彼らが子どもに注ぐべきエネルギーがブランド品購入に転用されてしまったのだなと切に感じます。バブルの虚勢は未だ生きていますし、 未熟な両親のキャラクターブランド志向は永遠に消えないのでしょうね。
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