『論座』の12月号に日本語に関わる対談が掲載されていました。言語学者とドイツ在住の日本人作家の対談です。 こういう組み合わせで「ことば」を語ると、たいていは「今時の日本語は乱れていて嘆かわしい」という論調になりがちなのですが、 この対談はそうではありません。ひと言でまとめると誤解が生じやすいのですが、敢えて言うなら「漢字悪玉論」かなという感じです。 旧仮名遣いや旧字体で文章を書いている丸谷才一さんなんかは目の敵にされています。
日本語は善かれ悪しかれ漢字と平仮名、つまり漢語と大和言葉で成り立っています。 この組み合わせが日本固有の文化であると思うのですが、お二人はそうは思っていないらしい。 大和言葉を表音記号で使えという主張にも読めます。表意文字と表音文字は異なる大脳部位で処理されていますので、 両方を併せ持った日本語こそ多様な概念を操作し、思想を組み立てるにふさわしい言語だと思えるのですが……、自分では実践はできていません。 (苦笑) いずれにせよ、言語学者と作家の対談でこれほど日本語に否定的な会話は珍しいと思います。今時の流行言葉も「言葉の乱れ」 とはとらえていないのですね。何を乱れとし、何を変化とし、何を発展と位置づけるかは主観的な判断ですが、 総体的に見れば日本語は乱れつつあると言えるでしょう。あらゆる事象は放置しておけば必ずエントロピー増大の法則に従うハズですので、 故に緊張感をもって維持しなければならないというのが僕の信念です。
言語学者の話の中にこういうのがありました。「うつす」という言葉は本来豊かな内容を含んでいるのに、それを漢字で書こうとすると 「移す」「写す」「映す」というように一つの言葉の意味を分解せざるを得ないという趣旨の発言です。こうした大和言葉の「良さ」 を意識した上で、漢字平仮名混在の日本語を守ろうという発想がしごく妥当だと思うのですが、『論座』は「進歩的」で、僕は「保守的」 なのでしょうか。
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