数量で表すことのできる指標を持って「評価」することがはやっています。それは客観的かつ正しい評価であると認識されているからなのかもしれません。世間は大昔の「偏差値偏重主義」の失敗から、何も学べなかったのでしょうか。人間の営みを数量化して測定することがいかに愚かしいいことであるかということを…。
…「大学合格73人」実は優秀な1人が受験 大阪の私立高…
これは2007年7月20日23時16分のASAHI.COMの記事です。ひとりの優秀な生徒にたくさんの大学・学部・学科を受験させて「関関同立144名合格」という実績を公表していたという記事です。
確かにこの高校の生徒が受けとった「合格通知の数」は144だったのです。そのうちの半数はひとりの受験生によって獲得されたものであったとしても「合格通知の数」に偽りはなかったのでしょう。ここが単なる虚偽報告と異なる点です。「関関同立のどこでも合格するような優秀な生徒がいる」ということでその高校を評価したらよいではありませんか。それは正当な評価であると思います。このニュースは、数量的評価のみを正当な評価とする風潮が生み出した悲喜劇なのです。
このケースは、ひとりの生徒を73回カウントしていたということが問題であるが故にニュースになりました。しかし、数量的評価に対する世間の見方が変わらない限り類似のケースはこれからもたびたび発生することでありましょう。
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