このコミックの連載が始まったのが25年ほど前のことでした。この11月で単行本100号が出版されたようで、書店で平積みの美味しんぼを目にしました。
このコミックの登場以来、あそこは美味しいだとか不味いとか、本物だとか偽物だとか、ウンチクがましい素人批評家が激増したのは間違いありません。ただ、最近次々と明るみに出ている杜撰な食品管理が20年、30年とまかり通っているようでは、まだまだ一般消費者の修行が足りないと言うことなのでしょう。法令違反の商品を売りさばいていた側の論理から言えば、消費者は味をわかって購入しているのではなくブランドで購入しているのですから、消費者が満足すれば偽物でもなんでも構わないじゃないかということなのでしょうか。法令違反の企業を弁護するつもりはありませんが、消費者の側に隙があったのでしょう。比内鶏と書いてあれば、美味しい比内鶏として食べてくれる人がほとんどだったということでしょう。
事業者の側に順法精神がなければ、日本で企業活動をする資格はありません。ただ、そのような事業者が何十年も不正を繰り返してきたことを見抜けなかった消費者も襟を正さなくてはなりません。自分の味覚に自信がないから、有名店の菓子や料理をありがたくいただく、あまり美味しく感じられなかったとしても「これを美味しいと言わなければ食音痴と思われてしまう」というような、不安がよぎることはないでしょうか。
我が国の食糧自給率はおそらく先進国でも下位のレベルでしょう。食料の国内生産が、国土の自然環境の維持と、国の安全保障に関わる重大事であることがまだ認識されていないのです。情報を右から左に受け流すだけの仕事だと信じられない高額所得が得られるのに、気象の機嫌をうかがいながら毎年汗を流している第一次産業従事者は、労働の対価を十分に得ていると思われません。どう考えたらよいのでしょう。
付け加えると、最近は一部の農産物がブランド化し、需給バランスが崩れるために、ブランド農産物は非常に高額に取引され、ノーブランド農産物は日の光を見ないことも多いようです。
世界には動物や子どもたちの過酷な労働によって支えられている農産物が無数にあります。安いからと言って、弱きものの犠牲の上に成り立っている商品に対しては、消費者がノーを突きつけなければなりません。それは純粋にモラルの問題ではなく、我が国の食糧自給率の向上と農業生産労働の深い理解につながるものと考えます。
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