歴史ある街並みを大切にすることがいけないこととは思いません。ただ、昨今の京都や奈良の街並み保存のあり方に多少の疑問を持っています。
京都や奈良で保存の対象となるものは古い構造物です。それを古いものだからという理由だけで保存の対象とするのは、現在の人々の暮らしを犠牲にしているようで違和感があるのです。平城京も平安京も寺社も町屋も、その時代には新しい「異物」だったはずです。それが時間の経過とともに「遺物」となりました。
現代社会に暮らす人々の暮らしに必要な新しい「異物」は「遺物」と調和しないという理由で抑制されます。古都はその歴史的伝統故に古都と呼ばれますが、それは古い構造物を残すことによって無前提に守られるものなのでしょうか。遠い過去に新しいものを進んで取り入れた先進的な精神こそ「古都」のもっとも重要な属性なのではないのでしょうか。
縦横無尽に空を横切る電線や電柱・騒々しい商業施設をそのままにして、高層建築や看板だけを規制しても「古都」の景観は改善すると思えません。東京的でない個性的な京都や奈良を作る精神性を育てることこそ、古都の保存につながるのではないかと思えるのです。