地震から10時間が経過しましたが、テレビニュースは次々と被害を伝えるばかりです。
昨夕の新潟地震のニュースを見ていた家内に「新潟に知り合いはいないの?」と聞かれました。 「安否を確かめるような知り合いはいないよ」と即答したのですが、しばらくしてからK君のことを思い出しました。 新潟には高校時代に同じ理系クラスで、同じ部活動をしていたK君が住んでいたのでした。いや、存在を忘れていたくらいですから、 「親友だった」というべきなのでしょうか。僕の「親友だった」J君は東京に住んでいます。
級友は僕たちを「物理部トリオ」と呼んでいました。のんびりした田舎の高校にあっても目立つほどに安楽な高校生活を過ごした 「物理部トリオ」は、当然の流れとして「浪人」の身分を得ました。お揃いだったのはここまでです。K君は新潟大学医学部へ、 J君は京都大学理学部へと希望通りの進路をたどったのに対して、僕は理系から文系へと流れた挙げ句、「モラトリアム人間」(この言葉、 ひところ流行りましたね)になりました。
盆と正月に長野で顔を合わせるという「内規」があったのですが、年々帰省する機会も減り、ここ20年近く顔を合わせていません。 今後も会うことはないように思います。かつて同じクラスで過ごしたことがあるということ以外には何の接点もありませんから当然ですよね。 もしどこかで僕たちが顔を合わせたとしたら、「こんなところで何してる」って声をかけて、世間話をして、「それじゃまた」 と中村雅俊の歌みたいなセリフで別れるのだと思います。だとしたら僕たちは今でも「親友」なのかも知れません。過去形の「親友」 という存在は、あるのでしょうか?
K、無事だよな?
※中村雅俊の歌とは、「ただお前がいい」(作詞・作曲:小椋佳)のことです。歌詞の一部にこのような言葉があるのですが、 書いたらダメなのですね。かなり昔、おそらく30年くらい前の歌だと思います。
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