鍋奉行は「奉行」と名の付く存在ですから、ただのコーディネーターではありません。たぶん「権力」を伴っているのでしょう。 僕自身はそういう権力構造に馴染まない人間なので、ひとさまと鍋を囲む機会は少ないのではないかと思います。
昨年末に『鍋奉行になる』(オレンジページ、2003年12月)というムックが発売されていましたが、そろそろ鍋の季節になった今、 増刷が書店に平積みされています。冒頭に「鍋奉行の五箇条」が掲げられており、「ルール」も「タブー」 も何もないのが鍋であるとされています。僕は、この五箇条は正確には「鍋の五箇条」なのではないかと思っています。 ルールもタブーもない鍋を作る際には、参加者の数だけ多様な価値観が交錯することになります。そうしますと、みんなが寄ってたかって 「まずい鍋」を作ってしまう危険性を否定できません。それでは参加者が不幸になります。「参加者の最大公約数的幸福」のためにこそ、 特別な権力を有する「奉行」の存在が必要になるのではないでしょうか。
たとえばわが家で鍋を作るとすると、大人二人の「合議」によって大まかな材料が決められ、 鍋の中の景色を見ながら修正を加えていくような形になりますでしょうか。ただし、僕は理屈っぽいので、「鍋料理の本質は何か」、 「どのような要素によってそれが鍋料理と定義づけられるのか」、「鍋料理と言えなくなる要素はあるのか」…、 などということを毎回くどくどと考えてしまうのです。やはり僕は鍋奉行には向いていないようです。(苦笑)
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