一月四日付の日経新聞夕刊を見ておりましたら、「子どもの教育費」の連載が載っていました。 僕が子どもの頃は塾などへ行っている知り合いはいませんでしたが、今の時代は「塾」という存在がかなり重要になってきているようです。 特殊技能を身につけるのでない限り、公教育と家庭教育で十分な教育を施すことが出来なければならないハズなのですが、 世の中は理想通りには動きません。子どもの間に学力格差が広がり、子どもが落ち着いて学習できない公立学校が少なくない状況では、「お受験」 に躍起になる保護者を責めることはできないように思います。ただし、 良い学校に入ることがただちにその子の将来を保証するものではないということも事実です。まして、 有名塾に入るための塾があるという事実を目にすると首を傾げたくなってしまいます。ごく一部の塾講師は、 受験問題回答テクニックのインストラクターに過ぎないことを知っています。むろん、 一部の学校教師にも指導力不足が見受けられる事実も直視しています。
テクニックを身につけることで大学受験、就職試験くらいまでは持ちこたえることができるケースが多いようですが、 その後の人生ではどうなのでしょう。受験競争に勝つことと、教養=すなわちカルチャーを身につけることは全く別の領域です。そして当然、 学校をおえた後にものをいうのは教養であるはずです。
僕自身は子どもにとっての最良の教育者は両親を初めとする保護者であると考えています。イクラ少人数学級が実現しても、 学級担任に個々の子どものパーソナリティを全て把握し、その子どもの適性と進路を考えさせる責を負わせるのは酷な話だと思います。 子どもの塾通いに年間数百万円の出費がかかるということですが、 両親が子どもに対して与える影響力は年間数百万のコストとは比べようもないほど重要なものであると思います。
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